紫式部

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    名無しの歴史部員 2018/06/20(水)08:56:40 ID: ID:JOp

    蔵人頭 藤原行成の一箇月 (「権記」西暦1001年2月の記事より)
    ※蔵人所は警護、伝令、事務など天皇家の家政一切を取り仕切る実働部隊、頭はその現場責任者

    一日 (宿泊)→内裏→東院→帰宅(三条堀河)
    二日 自宅→参議邸→左大臣邸→中務宮→内大臣亭→帰宅
    三日 自宅→内裏→左大臣邸→東三条院→一条院→東三条院→帰宅
    四日 自宅→左大臣宿所→円城寺(大津)→帰宅
    五日 自宅→左大臣邸→内裏→左大臣邸→東院→兵部大輔邸→右大臣邸→内裏→宿泊
    六日 (宿泊)→中務宮→帰宅
    七日 自宅→左大臣邸→内裏→宿泊
    八日 (宿泊)→左大臣邸→参議邸→内裏→宿泊
    九日 (宿泊)→東三条院→別邸→左大臣邸→内裏→東三条院→帰宅
    十日 自宅→別邸→東三条院→内裏→東三条院→帰宅
    十一日 自宅→内裏→東三条院→帰宅
    十二日 自宅→弾正宮→左大臣別邸→内裏→東三条院→帰宅
    十三日 自宅→弾正宮→左大臣邸→内裏→宿泊
    十四日 (宿泊)→円城寺→宿泊
    十五日 (宿泊)→円城寺→内裏→六条宮→宿泊
    十六日 (宿泊)→六条宮→自宅→内裏→別邸→内裏→別邸泊
    十七日 (別邸泊)→世尊寺→帰宅
    十八日 自宅→別邸→東三条院→帰宅
    十九日 自宅→左大臣邸→内裏→帰宅
    二十日 自宅→内裏→別邸→東院→帰宅
    二十一日 自宅→左大臣邸→参議邸→内裏→別邸→自宅→内裏→宿泊
    二十二日 (宿泊)→左大臣邸→別邸→東三条院→帰宅
    二十三日 自宅→内大臣邸→自宅→世尊寺→内裏→宿泊
    二十四日 (宿泊)→内裏→別邸→帰宅
    二十五日 自宅→内裏→宿泊
    二十六日 (宿泊)→内裏→別邸→内裏→帰宅
    二十七日 自宅→左大臣邸→内裏→別邸→内裏→帰宅
    二十八日 自宅→別邸→左大臣邸→帰宅
    二十九日 自宅→世尊寺→内裏→左大臣宿所→帰宅
    三十日→ 自宅→内裏→弾正宮→左大臣邸→覚慶宿所→平中納言邸→藤原中納言邸→藤原参議邸→源参議邸→帰宅




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    名無しの歴史部員 2018/02/18(日)13:39:49 ID: ID:HUo

    「得意げに真名(漢字)を書き散らしているが、よく見ると間違いも多いし大した事はない」
    「こんな人の行く末にいいことがあるだろうか(いや、ない)」
    「歌は素晴らしいかもしれないが、家柄は良くない」




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    1名無しの歴史部員 2017/10/09(月)08:01:56 ID: ID:DUK

    ワイ氏エリート官僚。人気作家。
    オリジナル同人誌かいてたら売れ過ぎwwww
    ちな、清少納言はオワコンの定子派についてるアホ。
    いとワロスwwww



    紫式部(むらさきしきぶ、生没年不詳)は、平安時代中期の女性作家、歌人。
    「源氏物語」の作者と考えられている。
    藤原道長の要請で宮中に上がった際に宮中の様子を書いた「紫式部日記」も残している。源氏物語と紫式部日記の2作品は、後に「源氏物語絵巻」、「紫式部日記絵巻」として絵画化された。
    また、中古三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人でもあり、「小倉百人一首」に「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな」と、その歌が収められている。

    父の藤原為時は、官位は正五位下で花山天皇にも仕えた漢詩人、歌人である。
    紫式部は藤原宣孝に嫁ぎ、一女(大弐三位)を産んだ。
    1001年(長保3年)に結婚後3年程で夫が死去する。その後「源氏物語」を書き始め、その評判を聞いた藤原道長に召し出されて一条天皇の中宮であり藤原道長の娘でもある中宮彰子(藤原彰子)に仕えている間に「源氏物語」を完成させた。

    紫式部が子供時代から晩年に至るまで自らが詠んだ歌から選び収めた「紫式部集」には、夫の藤原宣孝の死去に伴い詠んだ和歌「見し人の けぶりとなりし 夕べより 名ぞむつましき 塩釜の浦」が収められている。
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