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名無しの歴史部員 2015/11/14(土)01:22:04 ID: ID:mMs

期間はBC27年からAD395年までに即位してた皇帝限定

1. (中)ドミティアヌス
2. (三)ディディウス・ユリアヌス
3. (捕)カリグラ
4. (遊)ヘリオガバルス
5. (二)コンモドゥス
6. (一)カリヌス
7. (右)カラカラ
8. (左)ゲタ
9. (投)ネロ




 

2名無しの歴史部員 2015/11/14(土)01:23:49 ID: ID:WVM

カラカラ帝とネロ帝しか知らず死亡




3名無しの歴史部員 2015/11/14(土)01:24:51 ID: ID:mMs

解説するで

ストゥルティ・プリンケプス軍 #11
T. フラウィウス・ドミティアヌス外野手 (81~96)
ウェスパシアヌス帝の父で、ティトゥス帝の兄。
闘技場を完成させ、ローマ市民に娯楽を与え、
更に遠征もちゃんと行って属州民に支持されたが、
兄とは違いまともに教育されなかったのか暗の要素が強すぎた。
自分の気に入らない人物には投獄・処刑は当たり前、
とりわけ同性愛者を相当厳しく罰したが、自分は同性愛をする始末。
遠征にしたって政治宣伝目的でしかやらず、
軍の指導力も無いので屈辱的な講和で貨幣価値もかなり下がり、
ローマ市民の支持も転落の一方だった。
最終的には殺され、ダムナティオ・メモリアエという人間として最悪の不名誉刑に処せられた。
のちのトラヤヌス帝により名誉回復が絶望的に。




4名無しの歴史部員 2015/11/14(土)01:27:42 ID: ID:mMs

ダムナティオ・メモリアエ…
記録抹殺刑。死後に問われるが、
これに処されるとその人の記録は抹消され、
像も破壊される。
ある意味死刑より怖い刑である。




5名無しの歴史部員 2015/11/14(土)01:29:00 ID: ID:mMs

ストゥルティ・プリンケプス軍 #19
M. ディディウス・セウェルス・ユリアヌス (193)
五皇帝が擁立された193年で、五皇帝の一人。
背教者の方のユリアヌス帝とは別人なので注意。
哲人帝M. アウレリウス帝の母ミティア・ルキッラの計らえにより出世し、
ペルティナクス帝が暗殺され帝位が"競売"にかけられると最高値で彼が手に入れ皇帝になった。
競売で帝位に就いたこともあり、ローマ市民から石を投げつけられるわ罵声を浴びせられるわ、
更に元老院議事堂の中に入れてもらえないわで支持されることも無いまま、
セプティミウス・セウェルスに帝位を狙われた。
セウェルスを国家の敵とみなし近衛兵団を造るが戦いでセウェルスに敗れ、
コンモドゥス帝の側近だった近衛兵はディディウス・ユリアヌス帝を裏切り暗殺。
最後の言葉は「私が何をした?…私が誰を殺したというのだ」。
確かに人は殺す余裕なんて無いだろうけど、競売で手に入れた皇帝なんて市民にドン引きされるのは当たり前。
当然ダムナティオ・メモリアエにも問われました。




6名無しの歴史部員 2015/11/14(土)01:31:37 ID: ID:mMs

ストゥルティ・プリンケプス軍 #3
C. ユリウス・カエサル,Aug. ゲルマニクス "カリグラ" 捕手 (37~41)
実績が無いながら、先代のティベリウス帝の不人気っぷりから即位時は多くの市民に賞賛された皇帝。
まあティベリウス帝は死ぬ5年前から公に顔を見せなかったからだが。
話を戻すと、即位して7ヶ月はすべての市民や貴族に賞賛されるような政策を行ったが、
その7ヶ月後に病に倒れ、回復はするが彼のために生贄に捧げるべく何人もの市民を次々に殺害した。
更に妻を追放し、家族に自殺を強要した。
また飢饉に陥って財政難だったのに建設事業や遠征を強行して財政を大きく疲弊させ、
更に元老院との衝突から議員を殺害し、自分の神格化までした。
このような横暴な政治に不満をもった将校が彼を暗殺、死後ダムナティオ・メモリアエに問われた。

Aug.…アウグストゥス。ここではローマ帝国初代皇帝アウグストゥス帝のことでは無くローマ皇帝の称号の一つ。




7名無しの歴史部員 2015/11/14(土)01:35:11 ID: ID:mMs

4番は最後に回す

ストゥルティ・プリンケプス軍 #17
L. アウレリウス・コンモドゥス・アントニヌス内野手 (180~192)
彼を皇帝にしたのは哲人帝と言われた父親M. アウレリウス帝の異常な愛からだろうか。
彼が六男で兄達が次々に死んでいったのだからこれは考えられるが。
そんな訳で父の死後即位するが、最初の4年は遠征に出ており、ローマでは彼の姉の夫や妻の父などが政治を行っていた。
彼の遠征が終わりいざ国内政治に入ろうとするが既に堕落し切っており、
しかも姉達に何度も命まで狙われる事態に陥っていた。
彼は度重なる暗殺未遂のせいで、暗殺に備えられるようになり、
国内では暴政や親政が行われるようになった。国内政治は無能すぎて話になりませんでした。
ローマで大火が起きてその修復の際、自らを「ヘラクレスの化身」だの「新たなるロムルス」だの痛い名前を名乗り、
更にはローマには自分の名前をつけたもので溢れかえるようになった。
剣闘士としても名のある皇帝で、いくら不満があろうが暗殺は困難だった。
ほんの些細な理由で愛妾マルキアが処刑されようとしたのに彼女が気付き、
彼女はペルティナクスを擁立してコンモドゥスを殺そうとした。
まず食事で彼を毒殺しようとしたが失敗、しかしその毒を十分に吐き出せなかったが故に絞殺には成功した。
死後ドムナティオ・メモリアエに問われ、彼の像も次々破壊されたり削られたりした。




8名無しの歴史部員 2015/11/14(土)01:38:50 ID: ID:mMs

ストゥルティ・プリンケプス軍 #45
M. アウレリウス・カリヌス,Aug.
ディオクレティアヌス帝前最後(共同皇帝を除く)の軍人皇帝(単に父カルス帝が軍人なだけであって自身は違うみたいだが)にして軍人皇帝時代最大の無能と思われる人物。
9人の奥さんを持っていたとされ、本当の奥さんには子供までいた。
弟ヌメリアヌス帝と共同皇帝になっていたが、
弟が東方遠征から引き上げようとした際に殺されるとディオクレティアヌスと帝位を巡って対立。
人望も無く性格も悪かったのか近衛兵もどんどんディオクレティアヌスへ寝返り、
暗殺されダムナティオ・メモリアエにまで問われた。
同性愛までしたと言われている。




9名無しの歴史部員 2015/11/14(土)01:41:33 ID: ID:mMs

ストゥルティ・プリンケプス軍 #22
L. セプティミウス・バッシアヌス "カラカラ" 内野手 (211~217)
セプティミウス・セウェルス帝の子で、ゲタ帝の兄。
弟と2人共同で皇帝になったものの、
意見対立が止まず、母ユリア・ドムナが用意した講和の席で弟を殺害。
大浴場建設、貨幣改鋳、アントニヌス勅令を肯定的に捉える歴史家もいるが、
軍重視の政策の方が多く、元老院からも恐れられる程の暴政を執った。
度重なる遠征で市民は重税に苦しんだ。
アレクサンドリアの虐殺を行ったのもこの皇帝。
パルティア遠征の途上で暗殺されたが、元老院が恐れ慄いたのかダムナティオ・メモリアエには問わなかった。
記録が良く残っているため、多分ダムナティオ・メモリアエに問われていない皇帝では最大の暗君と考えられる。




10名無しの歴史部員 2015/11/14(土)01:44:11 ID: ID:mMs

ストゥルティ・プリンケプス軍 #99
P. セプティミウス・ゲタ外野手 (211)
カラカラ帝の弟。
カラカラ帝の共同皇帝にはなったが、あらゆる面でカラカラ帝と意見が対立し、
冷戦状態に陥った。
母ユリア・ドムナが講和を持ちかけるが、その講和の席でカラカラ派に殺された。
少なくともカラカラ帝よりは温和だったためか、ローマ市民にはカラカラ帝よりは歓迎されたが、
そもそも彼が絶対的に有能と言えるか殆ど分からない。
何故なら死後、ダムナティオ・メモリアエに処せられ、
その上誰にも名誉回復されていない上、
大体ゲタ帝もカラカラ帝の命を狙ってたのだから。
実は兄以上に無能皇帝では無いのだろうか?
謎だが俺はそう思えてならない。




11名無しの歴史部員 2015/11/14(土)01:45:16 ID: ID:BhZ

ちょうど395年からだけどホノリウスもローマ滅亡させた
大戦犯だしこの中じゃ中軸いけそう




12名無しの歴史部員 2015/11/14(土)01:45:48 ID: ID:mMs

ストゥルティ・プリンケプス軍 #5
ネロ・クラウディウス・カエサル,Aug. ゲルマニクス投手 (54~68)
東ハトが再起をかけて大ヒットしたお菓子の名前の由来となった唐辛子の由来となった皇帝。
実母である小アグリッピナの我儘により皇帝になった人。
その小アグリッピナも息子に殺されるなんて想像出来なかっただろう。
それはさておき、彼はセネカなどの影響を受け最初は良心的な政治を執っていたが、
次第に陰湿になっていき自分の肉親を次々処刑していき、
更にローマ大火もキリスト教徒のせいにして、皇帝で初めてキリスト教徒を迫害していった。
オリンピア競技に参加しては出来レース、詩を大衆に向けて詠むとあまりのつまらなさに大衆が逃げ出す始末。
属州でも支持を失っていき、反乱が起きると自殺。
1度ドムナティオ・メモリアエにかけられたが、
死後1年で彼により出世したウィテリウス帝に名誉を回復された。




14名無しの歴史部員 2015/11/14(土)01:48:18 ID: ID:mMs

ストゥルティ・プリンケプス軍 #23
M. アウレリウス・アントニヌス,Aug. "ヘリオガバルス" 内野手 (218~222)
なんJ、おんJで一番好きなローマ皇帝はこの人では無いだろうか?
生まれながらの問題児という、分かってる範囲では異例中の暗君で、
本軍不動の4番打者であろう。
家族も側近も彼が問題児であることが分かっていたが、
カラカラ帝を暗殺したマクリヌス帝の反対勢力の筆頭として担ぎあげられ、
祖母ユリア・マキナらの助けもあって皇帝になった。当時14歳の"男"。
しかしすぐに家庭教師に「自制心を持って生きなさい」と諭されるとその家庭教師を暗殺、
その後はまるで自分が女であるかのように多くの男を愛した(一応女とも結婚したけど"彼"の異常な性愛のせいで1年持たずに離婚した)。
"彼"の男への愛に関わるエピソードは数知れず、遂には性転換が出来る医者まで募集するに至った。
"彼"が皇帝の間は政治も軍事もボロボロ、
祖母まで切れて従弟のアレクサンデル・セウェルスを皇帝にしようと試みた。
これに反発した"彼"はアレクサンデルを謀殺しようとするが、祖母の行動によりアレクサンデル側に寝返る近衛兵が相次ぎ、
とうとう寝返った近衛兵に暗殺され、ダムナティオ・メモリアエにも問われた。




15名無しの歴史部員 2015/11/14(土)01:59:47 ID: ID:mMs

ついでにホノリウスの解説しよう

Fl. アウグストゥス・ホノリウス (395~423)
テオドシウス帝の子で、"初代西ローマ"皇帝。
そもそも当時はローマ皇帝を名乗ってたので決して初代では無い。
大体ローマ帝国の分裂はその前からずっとあったことだし。
さて話を戻すと、テオドシウス帝に2人の息子は共に無能で、
西の方はヴァンダル族のスティリコに任せる始末。
ホノリウス帝は実権を取り戻そうとスティリコを処刑するが、
その2年後西ゴート族のアラリックにローマを荒らされる。
まあ当時のローマは帝都とは言えない状態まで衰退したのだが、
蛮族だろうが政治を任せた人を処刑しながら何も手をうたずにローマを呆気なく渡すのは明らかに無能と言える。
その上西ゴート族にイタリア半島の進撃を許し、遂にイベリア半島を明け渡してしまった。
確実にローマ帝国の西側を分裂させた遠因を作ったと言える。




引用元:古代ローマ帝国の暗君で打線組んだ