building_europe_kojou (2)

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名無しの歴史部員 ID: ID:b5w

(中)ヴェルダン条約
(二)ヴェルサイユ条約
(右)ウェストファリア条約
(左)ウィーン議定書
(一)ユトレヒト条約
(遊)英仏協商
(三)トルデシリャス条約
(捕)再保障条約
(投)マーストリヒト条約




 

2名無しの歴史部員 ID: ID:b5w

説明してくで




4名無しの歴史部員 ID: ID:b5w

(中)ヴェルダン条約
ルイ敬虔王の死後、3人の子ロタール、ルートヴィヒ、カールによって843年に結ばれた条約。カロリング朝フランク王国を3分割し、後の独仏伊の基礎が築かれた。
前年にルートヴィヒとカールは対ロタール同盟(ストラスブールの誓い)を結んでおり、870年のメルセン条約によってロートリンゲン(ロタールの国)は東西に分割されることとなる。




5名無しの歴史部員 ID: ID:1gN

ヴェルサイユ条約が中軸にならん……だと?




12名無しの歴史部員 ID: ID:b5w

>>5
2番強打者理論やで(ニッコリ)




9名無しの歴史部員 ID: ID:b5w

(二)ヴェルサイユ条約
1919年に結ばれた、第一次世界大戦の対独講和条約。日本からは全権として西園寺公望、牧野伸顕らが参加している。
米大統領ウィルソンの十四か条の平和原則の下で、ダンツィヒ(グダニスク)の自由都市化、ポーランド回廊、アルザス・ロレーヌの割譲や、海外植民地の喪失、多額の賠償金、国際連盟の創設などが定められた。
この時、ロシア革命で政権を握ったボリシェヴィキによる同盟国との単独講和であるブレストリトフスク条約は破棄された。




10名無しの歴史部員 ID: ID:b5w

(右)ウェストファリア条約
最後にして最大の宗教戦争である三十年戦争の講和条約(1648)。カルヴァン派と個人の信仰の自由を認めない中途半端なアウクスブルクの宗教和議を改め、カルヴァン派を承認。オランダとスイスの独立も承認された。
領邦諸侯の主権を認め、帝国の解体が確定的となったため、「神聖ローマ帝国の死亡証明」と呼ばれる。この戦争によってドイツの近代化は遅れるものの、被害の少なかった墺と普の台頭が始まる。




11名無しの歴史部員 ID: ID:b5w

(左)ウィーン議定書
ナポレオンが荒らし回ったヨーロッパを整理するために、墺のメッテルニヒが提唱したウィーン会議の到達点。セイロン島やケープ植民地(蘭→英)、西ポンメルン(スウェーデン→普)、ノルウェー(デンマーク→スウェーデン)、フィンランド(露)などを割譲した。
また、西や仏等でのブルボン家の復位、ロシア皇帝の下でのポーランド立憲王国の建国、神聖ローマ帝国の復活はせず、ドイツ連邦の誕生などが定められた。
これによって築かれたウィーン体制を守るため、神聖同盟、四国同盟などが結ばれた。




13名無しの歴史部員 ID: ID:b5w

(一)ユトレヒト条約
ルイ14世の自然国境説に基づく侵略戦争の一つで、スペインハプスブルクの断絶を理由に、孫フェリペの王位継承権を巡って争われた戦争であるスペイン継承戦争の講和条約。
仏西の合併禁止と、イギリスへのアカディア、ハドソン湾地方、ジブラルタルなどの割譲と引き替えに、フェリペの即位を承認、フェリペ5世となった。1713年に結ばれたこの条約が、18c.の欧州の枠組みをきめたともいわれる。ちなみにイベリア南端のジブラルタルはまだ西に返還されていない。




14名無しの歴史部員 ID: ID:b5w

(遊)英仏協商
百年戦争から始まり、近代以前は衝突しかしてこなかった英仏が1904年に妥協したもの。
英と仏が政策によりスーダンのファショダで衝突(ファショダ事件)したが、独のヴィルヘルム二世による世界政策への警戒心を強めた両国が結んだ。エジプトにおける英の、モロッコにおける仏の優越を承認し、東南アジアでの勢力圏を定めた。
これにキレたヴィルヘルム二世はタンジール事件を起こしてモロッコ領有を図ったが失敗してしまい、ドイツの孤立化が一層強まった。




15名無しの歴史部員 ID: ID:b5w

(三)トルデシリャス条約
1494年に西葡間で結ばれた条約。前年、教皇アレクサンデル6世の下で教皇子午線が引かれ、勢力圏を定めたが、西に有利なものであったため葡が反発。これを結ぶに至った。
この条約により、ベルデ岬諸島の西2000kmで新世界を分割した。また、これによってカブラルによる領有宣言以前のブラジルの事実上の領有権がポルトガルのものとなった。欧州史における重要さは薄いものの、インパクトの強い条約である。




17名無しの歴史部員 ID: ID:b5w

捕)再保障条約
1887年に独露間で結ばれた、お互いの戦争への不介入を定めた秘密条約。普仏戦争以降のビスマルク外交の下で、仏の孤立化を図って結ばれた。
当初ビスマルクは、独墺露による三帝同盟、独墺伊による三国同盟で安全保障の維持を図ったが、露土戦争、ブルガリア問題によって2度にわたって結ばれた三帝同盟は崩壊してしまう。ただ、2方面との対立を避けたい独は露と再保障条約を結び、仏のみに敵を絞った。
しかし、ビスマルク失脚後の1890年、ヴィルヘルム二世はこの条約の更新を拒否。仏露の接近によりビスマルクの計画は泡と消えた。




18名無しの歴史部員 ID: ID:SxM

なんで再保障条約なんだ?




20名無しの歴史部員 ID: ID:b5w

>>18
ビスマルクが頑張って結んだのに泡と消えるとこがドイツらしいという理由だけど半分好み




19名無しの歴史部員 ID: ID:b5w

(投)マーストリヒト条約
ローマのころからひたすら争い続けた欧州がひとつにまとまろうとして結んだ条約。独仏などによるECSC(石炭鉄鋼共同体)から始まり、EC(ヨーロッパ共同体)を経て、今日に至るEU(欧州連合)を発足させた。
冷戦が終わり、イデオロギーに関わらないヨーロッパの統一を目指し、欧州議会の設立などを定めた。理念は素晴らしい。




21名無しの歴史部員 ID: ID:tbE

パリ条約とかいうパリ条約だけで2軍まで組めるやつ




23名無しの歴史部員 ID: ID:b5w

>>21最初パリ条約入れてたけどどれもインパクトに欠けるから消したンゴ




引用元:欧州の条約で打線