world_machupicchu (1)


1名無しの歴史部員

彡(゚)(゚)「誰やそれ?」

(´・ω・`)「マチュピチュ村の初代村長だよ」

彡(゚)(゚)「ファッ!?マチュピチュってペルー人じゃなくて日本人が作ったんか?」

(´・ω・`)「マチュピチュとマチュピチュ村は違うよお兄ちゃん…」




 

2名無しの歴史部員

(´・ω・`)「1917年に契約移民としてペルー共和国に行くことになったんだ」

彡(゚)(゚)「契約移民?なんやそれ?」

(´・ω・`)「そこからか…少しは勉強しろよカスが(簡単に言えば国を超えた出稼ぎみたいなもんだよ)」




3名無しの歴史部員

(´#:)ω・`)「ま…まぁその後与吉さんはアメリカ、ブラジル、ボリビアなんかに渡るんだけどその後ペルー戻るんだ」

彡#(゚)(゚)「働いてるんとちゃうんか?仕事辞めたんか?」

(´・ω・`)「うん、1年ほどで辞めてるよ」

彡(゚)(゚)「ファッ!?」

(´・ω・`)「契約内容と実地でやる事に大きな食い違いがあったりとブラックな感じだったからね」

彡()()「ヒェッ…そらやめるわ…」




4名無しの歴史部員

(´・ω・`)「戻ってきたのは1923年
5年ほど放浪の旅をしてたみたいだね」

彡(゚)(゚)「まぁ戻ってなかったらマチュピチュ村作れへんもんな」

(´・ω・`)「そこからはペルーのクスコ県ペルー国鉄クスコーサンタ・アナ鉄道(通称FCSA)に勤務しながらマチュピチュ集落に住んだよ」

(´・ω・`)「FCSAでは電車の運転や線路の拡大工事など色々携わってたみたいで1929年にはクスコ〜マチュピチュ区間の線路が完成したんだ」

彡(゚)(゚)「線路かぁ…発展した感じするなぁ」

(´・ω・`)「余談だけど前年の1928年には現地のマリア・ポルティージョさんと結婚してて2年後には長男が生まれるけど2歳の時に亡くなってしまうんだ…
この後には男の子と女の子が2人ずつ生まれたよ」

彡(-)(-)「線路があったとらいえまだまだ発展してない村だから衛生面とかあったんかね…」




5名無しの歴史部員

(´・ω・`)「話を戻してその後だけど、与吉さんは手先が器用だからってことで川から畑に水を引いたり、その近くに水車を作って発電施設を作ったりしたんだ」

彡(゚)(゚)「器用とかそういうレベルやないやん…」

(´・ω・`)「他にも壊れた機械を直したりして創意工夫に富んでたみたいでみんなから好かれてたんだって」

彡(^)(^)「ワイとは大違いやなw」

(´・ω・`)「1953年には何と村唯一のホテルを建設するんだ」

彡(゚)(゚)「なんでも作ってしまうんやな…」




6名無しの歴史部員

(´・ω・`)「ホテル・ノウチという名前で床は当時では高価だった木材を使い、建材に線路のレールを利用したりして建てられたみたいで3回建ての21部屋という立派なホテルだよ」

彡(゚)(゚)「はぇ〜すっごいおっきい…」

(´・ω・`)「このホテルは村民が使えるように1階を郵便局や交番として無償で貸し出したり、2階は村長室や裁判所として使用したり役場みたいな部分もあったみたいだね」




7名無しの歴史部員

(´・ω・`)「与吉さんはスペイン語や現地の先住民の言語であるケチュア語、英語まで喋れたから通訳としても活躍したよ
その頑張りのお陰で村もどんどん発展していったんだ」

(´・ω・`)「後のアンデス文明研究家になるる天野芳太郎さんがマチュピチュ遺跡を訪問した際には1週間ほどホテル・ノウチに滞在し、与吉さんがマチュピチュ遺跡を知り尽くしていたから同行して案内したという話もあるんだ」

彡(゚)(゚)「本当に同じ人間か怪しくなるほど完璧やな…」




8名無しの歴史部員

(´・ω・`)「こんな風に人望を集めていった結果1939〜1941年には村の最高責任者である行政官を任されたよ」

彡(゚)(゚)「ん?村長ちゃうんか?」

(´・ω・`)「正式に村となるのは41年からだからそれまでは行政官って名称だったんだ
まぁ実質的な村長だね」

彡(゚)(゚)「ほーん」

(´・ω・`)「ちなみにこの後最初の妻マリア・ポルティージョさんとは別れてマリア・モラレスさんと再婚、5人の子供に恵まれるよ」

彡(゚)(゚)「バツ1なんやな」




9名無しの歴史部員

(´・ω・`)「1947年にはマチュピチュの川が大氾濫を起こして甚大な土砂災害に見舞われてしまうけど与吉さんと住民は地方政府に緊急支援を依頼し復興するよ」

(´・ω・`)「そのすぐ後には地方政府からの命令で与吉さんは正式に村長に任命されたんだ
その際には新聞にも載ったみたいだね」

彡(゚)(゚)「迅速な対応だったんやろか」




10名無しの歴史部員

(´・ω・`)「その後はまたFCSAで働くためにクスコ市に移り住んだよ
この仕事は定年まで勤めた後、息子のノウチ・セサル・モラレスさんに引き継いだんだ」

彡(゚)(゚)「2代にわたって続ける仕事って職人みたいでカッコええなぁ」

彡(゚)(゚)「そういやずっとマチュピチュ発展させてきたけど故郷には帰らなかったんか?」

(´・ω・`)「タイミングがいいね
1958年にペルーに訪れ、マチュピチュ遺跡を見学した皇族の三笠宮崇仁親王様が与吉さんの長女オルガ野内さんから花束を贈呈されたという新聞を見た親族が消息を知り日本大使館を通じて与吉さんが連絡を取ったんだ」

彡(゚)(゚)「ラッキーという一言に尽きるなぁ」




11名無しの歴史部員

(´・ω・`)「その後は旅費を集め、1962年に故郷に帰還するよ
帰らなかった期間なんと52年ぶり!びっくりだね」

彡()()「ヒェッ…ワイならホームシックになりそうや…」

(´・ω・`)「両親は他界してしまってたけど兄弟や親族が迎え入れてくれたんだ
与吉さんの中では日本での時は移民になる前で止まってたみたいで
日本に着いた時には『電気は着いたか?』と過去のことを質問したりしてたみたいだね」

彡(゚)(゚)「何か浦島太郎みたいやな」




12名無しの歴史部員

(´・ω・`)「故郷滞在中にはマチュピチュ遺跡の魅力を伝えるために講演会を開いたり地元の新聞、ラジオ番組に出演してたんだ
半世紀ぶりに帰還したことから『今世浦島(現代の浦島太郎)』と紹介されてたよ
この時のラジオなどの音声は残ってるみたいだね」

彡(゚)(゚)「日本に帰ってきても色々やってるんやなぁ…」

(´・ω・`)「しかしこの後は11人の子供が待ってるからということで引き止める家族を説得してクスコに戻ったんだ
しかし戻ってからわずか2ヶ月後の1969年8月29日に息を引き取ってしまうんだ」

彡(;)(;)「最期に家族と親族に逢えたんやね」




13名無しの歴史部員

(´・ω・`)「生涯に渡って1つの村を作り上げたこの与吉さんを知る人は少ないんだ
これを少しでも多くの人に知ってもらえたら幸いだよ」

彡(゚)(゚)「せやな…この偉業は大きなものや」




14名無しの歴史部員

彡(゚)(゚)「そういや与吉さんの故郷ってどこや?」

(´・ω・`)「大玉村だよ」

彡(゚)(゚)「大玉村?何県にあるんや?」

(´・ω・`)「福島県にあるよ
ちなみに大玉村とマチュピチュ村は2015年に友好都市締結を結んでるよ」

彡(゚)(゚)「故郷やから結んだんやな」

(´・ω・`)「マチュピチュ村は今までどことも友好都市になってなかったから大玉村が世界で初めての友好都市になったんだ」

彡(゚)(゚)「ファッ!?マチュピチュって他に友好都市無かったんか」




15名無しの歴史部員

(´・ω・`)「そうなんだ
だからあんまり取り上げてないけど結構凄い事なんだよ」

彡(^)(^)「話聴いてたらワイもマチュピチュ行ってみたいなぁ…」

(´^ω^`)「僕もそう思ってたんだ!
飛行機のチケット買ってあるから一緒に行こう!」

彡(^)(^)「おっええやん!さっさと出発や!」

おわり




16名無しの歴史部員

ご視聴ありがとうやで




17名無しの歴史部員

はぇ〜
こんな人おったんやな
イッチ乙




18名無しの歴史部員

面白いやん




19名無しの歴史部員

勉強になるわ




引用元:https://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1568112937/