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名無しの歴史部員 ID: ID:nbw

備前岡山の英雄
宇喜多直家、宇喜多秀家それぞれの主力家臣団で打線組んだやで

打線書き込んだら、簡単な解説ダラダラ書いて行くわ

宇喜多直家軍

1.中 花房職秀
2.二 長船貞親
3.三 岡利勝
4.投 宇喜多直家
5.一 戸川秀安
6.右 明石景親
7.左 花房正幸
8.捕 宇喜多忠家
9.遊 宇喜多基家




 

2名無しの歴史部員 ID: ID:nbw

宇喜多秀家軍

1.二 長船定行
2.左 遠藤秀清
3.遊 明石全登
4.投 宇喜多秀家
5.一 浮田宗勝
6.中 金光文右衛門
7.三 小瀬秀正
8.捕 中村刑部
9.右 進藤正次




4名無しの歴史部員 ID: ID:OE9

貧弱打線やなあ




5名無しの歴史部員 ID: ID:nbw

花房職秀

美作方面に勢力を張った名門・花房氏の出。
秀吉にも諫言した無頼漢として知られ、美作平定と対毛利防衛戦に活躍。
ノブヤボでも高い武力設定されているシリーズが多いので宇喜多家の中では割と高名かと。
関ヶ原前の家康との問答でしくじりが無ければ、大名への列席の未来があったかもしれない。
その辺りは脳筋だったか。




6名無しの歴史部員 ID: ID:nbw

長船貞親

岡・戸川・長船の宇喜多三家老の一。
ノブヤボでは内政タイプの能力設定されているが、活躍としては槍働の方が目立つ。直家創業時から多くの戦で武勲を上げた猛将。
秀家時代に筆頭家老として働いていた最盛期に、身内に不満を抱かれ、凶刃に倒れる。息子の綱直も不可解な死を遂げた。
おそらく三家老の中の権力争いの被害者だったんだろうなぁと思う。




7名無しの歴史部員 ID: ID:nbw

岡利勝

三家老の一。
資料によって、息子の家利とよく名前が入れ替わる。
創業から殆どの戦に参加、岡山城と城下町の普請を担当と、文武に優れた実績を残した忠勇の士だが、長船貞親の後、筆頭家老に居座ったので、多分黒幕はこの人だよなぁ。
朝鮮出兵中に病死。今際の際に、くれぐれも長船綱直、中村刑部の重用を控えるよう秀家に言い残して果てた。結末はご覧の通り。




8名無しの歴史部員 ID: ID:nbw

宇喜多直家

備前岡山のアサシン。中国地方三大謀将の一。
浦上家臣から下克上で備前・美作を領有する大勢力に成り上がり、勢力を増す織政権下でも大きなプレゼンスを発揮した戦国期の岡山の英雄。
非道なイメージが強いが、臣下からの信頼は極めて篤い。
血縁者を使った策謀も、身内=所有物という概念が強かった戦国期では、自分の身を率先して切ったと解釈できるし、主家討ちも祖父の敵討ちと考えれば、悪役扱いされる謂れはない。
題材としては幾らでも美談にできる経歴の持ち主だが、後世はそうは扱わなかった模様。




9名無しの歴史部員 ID: ID:nbw

戸川秀安

三家老の一。
三家老の中では若く、直家には小姓として仕え始めたことから、一番気心が知れる間柄だったと思われる。
直家時代には2万5千石の最大石高を領した。




10名無しの歴史部員 ID: ID:nbw

明石景親

全登の父。浦上家の重臣。
宇喜多直家の主家討ち成功のキーマン。彼の寝返りによって浦上家の敗戦は決定的となった。
以降、宇喜多家には直臣でなく、客分という立場で仕える。
宇喜多家が毛利勢力下だった時分に秀吉勢と密通するような怪しい動きも見せており、宇喜多・浦上配下のトリックスターと言える。




11名無しの歴史部員 ID: ID:nbw

花房正幸

前述の職秀と同じ、名門花房氏の出。
余談だが、現代の岡山市にも花房性は多く散見される。
かの細川幽斎に古今伝授を受けただのという誉れ高い教養人。武働きとしては、弓の名手としてのエピソードが有名。




14名無しの歴史部員 ID: ID:nbw

宇喜多忠家

兄貴と会う時は鎖帷子を着ていくという逸話で有名な直家の異母弟。
創業から兄を支え、上月城攻めや高松城攻めなど、多くの場面で直家秀家両人の代行として総大将をソツなくこなす。
本人が兄をどう思っていたか知らないが、兄や甥からの信頼は非常に篤かったと思われ。




15名無しの歴史部員 ID: ID:nbw

宇喜多基家

一門衆。
資料によって、直家の異母弟の宇喜多春家の子だったり、春家と同一人物だったり、はたまた忠家の子だったり、しっちゃかめっちゃかだが、
ともかく毛利の穂井田元清と戦った八浜合戦の宇喜多側の総大将で基家という人物がいたのは間違いない。
その合戦で流れ弾に当たり生涯を終えた。




16名無しの歴史部員 ID: ID:nbw

次、秀家軍


長船定行

貞親の次男。綱直の弟。
二代続けて不運な死を遂げた一族の生き残りだが、お家騒動後も宇喜多家を支えた苦労人。
関ヶ原以降、行方不明。




17名無しの歴史部員 ID: ID:6t3

草野球やな




18名無しの歴史部員 ID: ID:nbw

>>17
お家騒動後の秀家軍は、武将どころか旗本レベルの人間起用しないと打線が成立しない




19名無しの歴史部員 ID: ID:nbw

遠藤秀清

戦国時代初の銃撃による暗殺を成功させたスナイパー遠藤兄弟の兄。
直家時代は、それ以外目立った活躍は見られないが、秀家時代には政務にも携わり、関ヶ原にも参戦した。




20名無しの歴史部員 ID: ID:PpM

毛利元就もそうだけど中国近畿地方ってちょいと黒すぎますね




21名無しの歴史部員 ID: ID:fT5

宇喜多家って子孫残ってるんだっけ




27名無しの歴史部員 ID: ID:nbw

>>21
岡山城築城400年のイベントに、子孫の方が呼ばれていたね




23名無しの歴史部員 ID: ID:Hon

宇喜多騒動無かったら関ヶ原どうなったんやろな
あっても奮戦したんやし無かったら福島 黒田 細川くらい蹴散らせたんかな




30名無しの歴史部員 ID: ID:nbw

>>23
案外そんなに結果は変わってないかも。
むしろ若い全登と秀家がウマが合って、上手く連携できていただろうし、うるさい爺様達が残っていた方が、実力発揮できなかったかもしれない




24名無しの歴史部員 ID: ID:nbw

明石全登

お家騒動後の宇喜多家を家宰として取り仕切り、お家復興を掛け、大坂の陣にも参戦したキリシタンの名将。秀家時代の最主力選手である。
この人は有名なので、特に補足することはないが、秀家と同様、親父が畜生だと息子は何故かぐう聖になる、戦国あるあるのパターンである。




25名無しの歴史部員 ID: ID:8au

毛利家と手切れの後備前美作で死ぬほどやりあって一歩も引かなかったのは素直にすごい
宇喜多はとことん粘るイメージ




28名無しの歴史部員 ID: ID:xuM

豊臣秀吉軍

1二 石田三成
2右 加藤清正
3捕 羽柴秀長
4投 羽柴秀吉
5遊 黒田勘兵衛
6中 竹中半兵衛
7一 福島正成
8三 蜂須賀小六
9左 大谷吉継


強すぎうち




29名無しの歴史部員 ID: ID:PpM

>>28
織田信長「ワシの家来も入っとるがね」




32名無しの歴史部員 ID: ID:nbw

宇喜多秀家

五大老。
陽キャのイケメンだったらしく、秀吉から厚い寵愛を受けた。
お家騒動後で後世の評価を落としたが、関ヶ原でも東軍の猛将達相手に奮戦しており、愚将というわけではなかったと思う。
ただ備前岡山という統治の難しい地域&クソうるせー爺様老臣達を治めるには荷が重かった。




34名無しの歴史部員 ID: ID:nbw

浮田宗勝

一門衆。秀家の又従兄弟。
お家騒動後の一門衆としては最大規模の戦力を保持。
関ヶ原では岡山城で留守居。戦後、岡山城の引き渡しを滞りなく実施。…まあ、事務方としては優秀だったんだと思う。




36名無しの歴史部員 ID: ID:nbw

金光文右衛門

父は直家の策略で切腹させられた元岡山城主・金光宗高。
父親が酷い仕打ちを受け、領土も乗っ取られた割に、何故か宇喜多家には忠義の士として最後まで仕え、敵将首をとる活躍も見られる武人。




37名無しの歴史部員 ID: ID:PpM

>>36
宗教団体の金光かな




41名無しの歴史部員 ID: ID:nbw

>>37
金光教が成立したのは、明治とかやない?
金光山岡山寺(天台宗)保護していた一族やね




42名無しの歴史部員 ID: ID:nbw

小瀬秀正

医者として有名な小瀬甫庵とよく間違えられるが、別人。
関ヶ原敗戦後に薩摩への逃避行に同行。
島津家に匿われているのが徳川幕府に露見した後は家老として折衝役を務めた。




43名無しの歴史部員 ID: ID:nbw

中村刑部

元前田家臣。
豪姫の付き人として秀家と共に大阪に滞在。大いに重用される。
身もふたもない言い方をすれば、宇喜多家崩壊の元凶。
若くて有能で先進的(熱心な日蓮宗の多い岡山でそれを軽んじ、キリスト教を保護)でと、まあ岡山の陰険な爺様達からは嫌われただろうなぁということが容易に想像がつく。
お家騒動後、加賀藩に再出仕。




54名無しの歴史部員 ID: ID:nbw

進藤正次

本丸御番衆の一人。秀家の馬廻みたいなものか。
関ヶ原敗戦後、主君の逃亡に尽力し、徳川方に秀家は自害して果てたと虚偽報告。
一世一代の大芝居は涙無しには見られない物だったそうで、一時徳川を欺くことに成功したものの、すぐに島津に匿われている噂が広がり、あっさり露見。
本来なら処刑ものだが、逆にその忠義を称され、徳川家に旗本として召し抱えられた。




55名無しの歴史部員 ID: ID:nbw

岡山出身で宇喜多好きやったんやけど、岡山ってすげー陰険な県民性やし、瀬戸内貿易やらのややこしい利権問題もあるから、
良い子じゃ生き残らん地域やな。
お家騒動で弱体化したのは確かやけど、秀家が老臣達と上手くやって行くifも、あんまり考えられんわ。




56名無しの歴史部員 ID: ID:nbw

とりあえず、解説終わりや




57名無しの歴史部員 ID: ID:Hon

乙やで
こうして見ると秀家の代の面々しょぼいわね




60名無しの歴史部員 ID: ID:nbw

>>57
実際、万石以上の所領持ちは長船と明石しかおらんしね。
歴史家じゃないから、有名じゃない人で他に所領持ちおったかもしれんけど、ワイが知っとる範囲やとこんな布陣になっちゃう




58名無しの歴史部員 ID: ID:6t3

信長の野望革新で米の一大生産地の印象やったわ岡山は




61名無しの歴史部員 ID: ID:nbw

>>58
岡山平野って広大な平野と、旭川や吉井川って大きい川もある、めっちゃ恵まれた土地やで。

米どころのくせに、江戸時代、池田の殿様が倹約令なんかしいたから、銘酒が誕生しなかった(ガッカリ




59名無しの歴史部員 ID: ID:8au

戦前まで岡山出身の官僚や軍人は警戒されたらしいね
戦後も星野仙一監督とか一癖ある人物が多い




63名無しの歴史部員 ID: ID:nbw

>>59
岡山人印象悪くて草
確かに出身の偉人有名人はインテリヤクザ気質の人間多いと思う




引用元:【戦国】宇喜多氏2代で打線組んだ